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日記

父親は私が物心ついた時から幻覚を見ていて、自殺未遂して意識が回復した時も「預言者の声に従っただけだんだ」と言っていた。その数年後に父は死んだ。今となってはそれは冗談だったのかも本気だったのかわからない。昔、父が私に教えてくれたアルコール依存症になった理由をを母に確認したところ違っていた。ちなみに親戚の誰に聞いてもみな違う答えだった。彼が私に話してくれたことで本当の事(事実?真実?)ってあったんだろうか。彼が生きた「生」と言っていのかわからないけど、父の生はなんだったんだろう。父は人間だったんだろうか。彼が見ていた世界ってなんだったんだ。そんなことをぐるぐると考えてしまって数日間ずいぶん深いところへ潜っていた。

人間の条件といえばアーレントだけど、なんか違う気もする。

グリーンバーグもモダニズムの絵画かなんかで同じフレーズを使っていた気がする。「作品の条件が人間の条件」だっけ。いや、嘘かもしれない。確認はしてない(しろ)。

カントの人格概念をちょっと知りたい。カント辞典をたどったりなんかしてさぁー。

朝の太極拳を再開している。あと10分くらいの近所の散歩も気分がずいぶんと変わる。近くに海はないけど川はある。海行きたいな。

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少し前まで

少し前までやっていたtwitterでシルヴァンバーネットの『美術を書く』東京美術出版、2014年。の自身の気になる章のレジュメを作っていた。また、少し深掘りしたいところは文献を調べて同レジュメに記載した。 https://drive.google.com/drive/folders/1baqB5ptAKPVmws2b1tLM8HJxWddtmSK8?usp=share_link 『美術を書く』はあ

日記

今日、以前住んでいた場所の近くを通ったら、お気に入りの空き地が無くなり、そこに新築の家が建っていた。埼玉に来て四年で、雑草の茂るお気に入りだった空き地が四ヶ所なくなった。通りかかるたびに立ち止まって風が吹いて草達がざわめくのを愉しむことができなくなった。別のところでは太い梁を備えた百姓小屋が壊され整地されていた、そこにも家が建つようだ。市内でのシンボルツリーといってよいくらい存在感のある大木が二本

しらふ

そういえば使っている数少ない食器は全て骨董品だ。 根無草だから生活の中にせめて幻視みたいなものを求めてんのかと思って、ずいぶん感傷的だなと少し自分を戒めた。 書いたものに時間を持ち込もうとするからその摩擦で書くことに意図や目的が生じた。喋ることにも時間があるはずだが、書くことほど時間を感じられないのは元々流れていく性質を持つからだろう。出来事はたちきえてくばかり。たまに虚空に投げ出されたようになっ

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