そういえば使っている数少ない食器は全て骨董品だ。
根無草だから生活の中にせめて幻視みたいなものを求めてんのかと思って、ずいぶん感傷的だなと少し自分を戒めた。
書いたものに時間を持ち込もうとするからその摩擦で書くことに意図や目的が生じた。喋ることにも時間があるはずだが、書くことほど時間を感じられないのは元々流れていく性質を持つからだろう。出来事はたちきえてくばかり。たまに虚空に投げ出されたようになってもこれはこれで気持ちがいい。情報が過多で希薄なのか分断されたのかはわからないが、そういうときは空が雄弁になる。自然は流れるけど人は留まる。人の本質的な性質は留めることだと考えたことがある。きっと命は変化そのもの。
とか打ちながらこれもこれもと冷蔵庫から一品を出しては贅沢になった夕食を食べ終えた。ずっと酔ってたい。でもそれはもうしらふみたいなもんでだったらずっとしらふでいいか。